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3月17日午前9時頃

2003.03.17 | Category 2003年

八幡の公民館かぁ。懐かしいなぁ。私、端なえは市原市出身なんです。市原市役所は丘の上にあって市原市民会館もその近くにある。凄い遠いんです。たしか、支所が出来るまで役所まで行くとなると、一日がかりで。いや、本当です。あ、今地名を思い出しました、国分寺です。多分。これをお読みの市原市の方。答えを教えてください。・・・、やり方が姑息だなぁ。でまぁ、先日書いたとおり、五井には図書館があるんですけど、私が住む八幡にはなかった。余談ですけど、少なくとも私が高校生になるまでファーストフードと言うのは存在しなかった。当時のマックと言えば、御馳走で、それが五井にはある。ロッテリアも。たった一駅なのにこんな違う。しかも、あっちは特急が停まる。小湊鉄道が上総中野へ延びてるし、-ん。八幡は田舎だ。いやまぁ。最寄の駅が八幡宿で、住んでいたのが五所。国道297号線を境に地名が変わる。信号渡れば、八幡南町である。ちなみに、バス停(勿論、小湊鉄道)は何故か日ノ出町。未だに謎である。
あの頃のマックって高かったですよね。うちが貧相なだけかなぁ。でも、子供の頃、地元にはなかったわけでして、マックを餌として吊り上げた事もあった。某学会に行くのが嫌で、その度に
五井のマックに行くと言われて、重い腰を上げるのであった。こりゃぁ、地元の人間しか解らないですね。
某学会と言うのは、新聞を発行してたり、バックに政党を持っている、あれです。なんか、あったら嫌なので
この話題は避けますけど。
貧相と言えば、さくらももこの初期の頃の作品である『うちの家は貧乏だった』を思い出す。りぼんオリジナルに
掲載されていた作品群なんですけど、『ちびまるこ』とは少し違った、大人びた視線の描写はそれなりに
衝撃的だった。と言うか。無かった様な気がするんだよなぁ。何がと言えば、エッセイマンガである。しかも、
庶民的な。だからこそ、新鮮だったんじゃないかと。その対に居るのが岡田あーみんでして、彼女がペンを持つのを辞めたのは、後で理由を読んだとき、「そーかもなぁ」と思ってしまった。ただ、一途に描き続けて
しまったが故にイメージが着いて回って・・・、でも。未だに新作を待っているファンは居るんである。
あ、対に居ると言うのは当時の事で、今現在の事じゃないですよ。でも、ムカシの印象が強いんだよなぁ。
そう言うのって。

09:00 | Posted by 端なえ

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